I’m still making beats for BLOWBOHEMIA. 「パリの6月」
F.Bのどうでもいい機能のひとつに、
何年か前のポストを知らせるというのがある。
6年前の今日はパリで3本のライブを終えて、ロンドンにバスで移動している所だったらしい。
初のパリでのライブは、革命が起きたバスティーユ界隈にあるシャンソンの箱や、フラメンコ、ジャズの箱で、音楽祭の中の1ステージだった。
オープンエアーの会場で、テーブルに着いた酔いどれの親父達が、ビール片手に気持ちよさそうにおれをまったりと見つめていたり、
ジプシーの5歳ぐらいの子供が、最前列にやってきて、何故かおれの写真をデジカメで撮りまくっていたり、
演奏中に後ろで、ドラムの音がするとおもったら、キューバ出身の親父ミュージシャンが飛び入りしていたり、
思い出せば、様々なトピックが交差しながらも、ライブをなんとかぶちかまし無事に終えたのだった。
アンコールが起き、様々な肌の色の人達が自分の音楽の元で解放され、
エネルギーが渦巻いてる様子は本当に感動した。
あれから6年が経ち、パリでは、何度か悲しい事件が起きてしまった。
世界に巣食う憎しみの糸は元を正せば、一つの繭なのかもしれないが、複雑さを増し、いまだ絡みあってるように思う。
滞在中に感じた、パリの下町、バスティーユの多国籍で、地元の人も移民もジプシーも同居した、あの寛容な空気感だけは、ずっと絶やしてはいけないと今も思う。
それから、二年後のある日、イギリスのバーミンガムに向かう車中でのことだった。
パリ出身のブライスに
「おれはBLOWBOHEMIAだ!」てフランス語でなんて言うの?と
聴き、すぐ様、車内の様子をiPhoneで録音した。
抜き出したフレーズを今日シーケンスに織り込みながら、
スピーカーの向こう、
パリの情景を思い浮かべている。
治安含め、恐怖過ぎてホテルから出られなかった、滞在1日目にラジオから流れたジャズプログラムの新鮮さ。
その後に、街の至るところで嗅ぐことになる、バスルームでみつけた香料の強い石鹸の匂い。
印象づけられた郷愁を、音楽にしないといけないと強く感じている。
自分にとっては、物価が高い、ライブをやらないと、不安がつのる、存在すらできない街ではあるが、
幼い頃から憧れ続け、また、そこに自分の音楽で還元できる喜びを噛み締めながら、まだあの日からの旅はいまだ終わってないことを感じている。
私はBLOWBOHEMIA
このフレーズを世界中の人になんて言うのか聴いてみたい。
湿気た日本列島の道端、
石畳に落ちる木漏れ日すり抜ける
風が新鮮な、6月のパリを想う 。